お客様負担0円の総合買取サービス店|銀座パリス北千住学園通り店|ご自宅にある不要な買取対象品をお気軽にお持ちください

COLUMN

コラム

2022/02/15

エルメスの歴史 【足立区 北千住 買取 銀座パリス北千住学園通り店】

こんにちは!

 

今回は【エルメス】の歴史のご紹介です。

 

 

 

エルメスの歴史

 

 

エルメスの始まりは、1837年になります。

 

この時代というのはまだ自動車や鉄道というのが登場する前の時代だったので

 

唯一の交通手段として馬が用いられていました。

 

当然今の車のようなステータスシンボルとなっていた馬車なので

 

車輪の数や馬の数、それを装飾するための馬具というのが珍重されていました。

 

そして創業者のティエリー・エルメスは、馬の鞍とハーネス職人として

 

この時代の中でパリのランパール通りに工房をかまえエルメスというブランドがスタートしたのです。

 

ルイ・ヴィトンの創業はこれより少し後の1854年でしたが

 

元々ヴィトンは馬車での移動時に使う旅行用トランクでの創業でした。

 

ティエリーの作る馬具は機能性も高く、とてもオシャレで

 

「エルメスの鞍をつける馬は持ち主よりもお洒落だ」と揶揄されるほど人気を博していきました。

 

ナポレオン3世の時代にはエルメスは皇帝御用達の馬具職人となり

 

万国博覧会で出品した鞍が銀賞を獲得したということもあり

 

エルメスは最高峰の馬具を取り扱うブランドとして知名度を高めていきました。

 

皇室、万国博覧会という権威に認められたことで最高峰のイメージや職人の高い技術力による品質の高さ

 

クラフトマンシップによる希少性といった現在のエルメスに近いイメージを刻んでいきます。

 

 

 

伝統を引き継ぐ

 

 

2代目のシャルル・エミール・エルメスの時代にはパリ万博において出品した鞍が金賞を獲得し

 

エルメスの名声、そしてその品質の高さを不動のものにします。

 

フランスだけではなく、ヨーロッパ中にその名声が響き渡り

 

各国の上流階級がエルメスの顧客リストに名を連ねることになっていきました。

 

そこから現在のエルメス本店があるフォーブル・サントレノ24番地に場所を移し

 

製造、卸から小売まで行う現在のブランドとして成長していきました。

 

しかし、全てが順風満帆にみえたエルメスですが

 

時代の流れ、科学の発達がエルメスを苦境に追い詰められていきました。

 

それが自動車の登場です。

 

自動車というのは、ガソリンさえ入れておけばメンテナンス要らずで移動手段としてとても優れています。

 

こうした自動車の台頭によってエルメスだけではなく、馬具工房そのものが存亡の危機に遭遇してしまいます。

 

 

 

大きな決断

 

 

新しい技術の台頭によって苦境に立たされる中、馬具製造だけにこだわっていたら

 

今のエルメスはなかったかもしれません。

 

しかし、3代目エミール・モーリス・エルメスは馬具製造で培った

 

エルメスのエスプリを残しながらも、大きくファション分野へとかじを切ったのです。

 

国外のいまだ馬具の需要があるロシアや南米、日本などの国へ

 

フランスの最高級の馬具を輸出する一方で、フランス国内ではファッション分野への進出を開始します。

 

現在ではエルメスの3本柱の一つとなっている革製品ですが

 

この時代にエルメスの最初のバッグである「サック・オータクロア」が発表されました。

 

馬具がメインだったエルメスがバッグを作ったというのは、パナソニックやソニーのような家電メーカーが

 

いきなり家電技術の応用で飛行機を造る位のインパクトある決断でした。

 

ファッション業界への進出においても職人の高い技術による品質の高さや手作りによる希少性

 

そこから生み出される最高級のイメージは損なわないように、馬具特有の技術を使って丁寧なモノづくりを行い

 

オリジナリティ溢れるエルメススタイルを確立します。

 

こうして生み出されたバッグや財布、ベルトなどの革製品はコットン主体だった

 

女性のファッション文化に革命をもたらしました。

 

現在当たり前に使われている「ファスナー」もエルメスが広めたもので

 

ファスナーをエルメス式と呼ばれていた時代もありました。

 

 

 

エルメスの第2の柱

 

 

エミールの時代は非常に順調にエルメスというブランドの現代の基礎を築いていきました。

 

しかし、時代背景がまたもエルメスを襲います。

 

1929年の世界恐慌とその後に始まった第2次世界大戦です。

 

こんな窮地においてもエミールは、さらなる今では3本柱のひとつとなっている

 

スカーフと香水という新しい分野に参入する事で乗り切っていきます。

 

最高級というエルメスのイメージはそのままに

 

手頃な価格で買うことの出来るスカーフや香水というのは不況を乗り切るためのマストアイテムだったのです。

 

現在、エルメスの顔となっているオレンジの包装紙ですが、これもこの時代に採用されたものです。

 

戦時中に使えずに余ったオレンジの紙を使ったところ、思わぬインパクトがあり現在まで継続されています。

 

シルクスクリーンプリントのスカーフ製造技術を取り入れ、現在のエルメスらしいスカーフが生まれました。

 

また、同じシルク素材のネクタイにも発展していきました。

 

名作香水である「カレーシュ」もこの頃に誕生します。

 

 

 

5代目経営者

 

 

エルメスを今の姿にした名経営者として有名なのが、5代目となるジャン・ルイ・デュマ・エルメスです。

 

アルジェリア戦争に従軍したり、インドやアジアを放浪したりと

 

自由奔放に生きていた彼は元々エルメスを継ぐ気などなかったらしいです。

 

こうした奔放な性格がブランドを形作る上で大きかったのかもしれません。

 

これまでの歴史を見てみるとエルメスは順調にブランドとして地位を確立してきているように見えます。

 

しかしデュマが就任するまでのエルメスというのは、どこか古い過去のブランドという印象を

 

若者たちから抱かれていました。

 

また、日本においても今ほどの人気がない状態でした。

 

そんな中でデュマのやったことの大きくはブランドイメージの刷新です。

 

元来エルメスのもつ高級感や質の高さなど残すべきイメージは残すのですが

 

どこか古くさく思われているイメージを覆し、最先端のブランドとして定着させることでした。

 

 

広告戦略

 

改革の一つが広告に関してです。

 

高級感は認められているが、古くさいと若者に見向きもされない状態に陥っていたエルメスを改革するために

 

広告部門のトップにフランソワーズ・アロンを起用しました。

 

彼女は、これまでの伝統を踏みにじるかのような広告戦略に出ました。

 

第1作目の広告はジーンズのブルゾンを羽織った女性が無造作にスカーフを首に巻き付けるといったものでした。

 

インパクトを与えるような広告を打ち続けることで、若者の中に興味と関心を植え付けていきました。

 

この戦略は功を奏し、エルメスの注目度は飛躍的に高まりました。

 

 

製品戦略

 

もう一つの大きなポイントは新製品の投入です。

 

この新製品の投入というのは時代のニーズにマッチした製品の投入であり、若者の心も引きつけていきました。

 

テーブルウェアなどが有名ですが、比較的手頃な価格で敷居の高いエルメスに

 

入りやすくするためのアイテムというのが目立ちました。

 

手頃な価格の製品投入ではありますが、エルメスの持つ高級感や品質の高さといったイメージは損なう事無く

 

徹底したイメージ戦略をとり、鋼球だけで親しみやすいブランドというところに行き着きました。

 

エルメスというブランドは原点となるブランドイメージと高い独自性を保持しつつも

 

世界展開に大きく成功し、現在の格別のブランドとしての地位を確立しました。

 

 

 

まとめ

 

 

今回はエルメスの歴史についてお話させて頂きました。

 

エルメルは職人の技術がとても素晴らしいのでまたの機会にお話させて頂きます。

 

 

 

銀座パリス北千住学園通り店では

ただ今、エルメス製品を強化買取しています!

 

査定は無料ですのでお気軽にご来店下さい☆

前の記事 :
次の記事 :

一覧に戻る

CONTACT US