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2023/04/22

北千住 買取 十三代 酒井田柿右衛門 染錦 柿文 酒器 【銀座パリス北千住学園通り店】

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本日のお買取商品は・・・

十三代 酒井田柿右衛門 染錦 柿文 酒器

●商品:酒器

●作家:十三代 酒井田柿右衛門

●時代:昭和

●仕様:濁手、染錦、柿文

●付属品:共箱

●状態:ABランク(通常使用良品の中古品)

 

柿右衛門とは

「柿右衛門様式(かきえも​​んようしき)」とは、江戸時代に活躍した陶芸家・酒井田柿右衛門の作品や技法に基づく、独特の陶器の様式を指します。
酒井田円西と息子の喜三右衛門は、朝鮮半島出身の陶工である李参平から陶土の採取方法を学び、有田に移住して陶器や白磁、染付などの磁器を製作しました。その後、喜三右衛門は赤絵磁器の製作に取り組み、17世紀前半に成功し、柿右衛門を名乗ります。
柿右衛門の赤絵磁器は、細かな模様や豊かな彩色が特徴的で、当時の日本国内はもちろん、海外でも高い評価を受けました。 その後も、柿右衛門焼きは、独自の技術や美意識を追求し、現代でも多くの人に愛される美しい焼き物の一つとなっています。

 

柿右衛門様式とは

初代柿右衛門は乳白色(濁手)の地肌に赤色系の絵を焼き付けるという独自の作風を確立し、その作品はヨーロッパなどにも輸出され、マイセン窯などでも記念品が作られます。
また、初代柿右衛門の作品は、中国の景徳鎮窯にも影響を与え、同様の作品が作られてヨーロッパに輸出されたこともあります。
初代柿右衛門は1666年に没し、その後は息子の二代柿右衛門や弟の三代柿右衛門が製作を継承しました。二代柿右衛門と三代柿右衛門は、製作期が重なっており、作風に大きな違いは見られないと言われています。

当時、ヨーロッパでは陶磁器製作が難しいとされ、柿右衛門様式の作品は欧州で非常に人気があり、多くが輸出されました。貴族や王侯貴族の間で愛され、柿右衛門様式の作品は非常に珍重され、移植品が多く作られました。
マイセン窯は、柿右衛門様式の作品を研究して自社で生産を開始し、高品質の柿右衛門写しを生み出したことで有名です。
また、チェルシー窯やボウ窯、シャンティ窯など、他の窯でも柿右衛門様式の作品を模倣することが行われました。
「柿右衛門写し」と呼ばれる作品は、実際には日本の有田や酒井田家で作られた柿右衛門の贋物ではなく、マイセンで製作された柿右衛門写し作品として人気が出ました。

 

柿右衛門レッドとは

「柿右衛門レッド」とは、柿右衛門作品の中でも、赤いグラデーションが特徴的なものを指す言葉です。
柿右衛門の初代作品には、白地に赤絵が描かれたものが多くありますが、その中でも赤色が特に鮮やかで、深みがあるものを「柿右衛門レッド」と呼びます。
今では「柿右衛門レッド」という言葉が磁器の色彩を表す一つの世界基準としても認知されています。

 

十三代柿右衛門とは

酒井田柿右衛門13代は、1906年に佐賀県西松浦郡で生まれ、本名を渋雄と言います。有田工業学校製陶科を卒業後、父親の12代柿右衛門とともに柿右衛門窯を継ぎ、日本の色絵技術の伝統を引き継ぎます。
柿右衛門窯は、有田焼、古伊万里、色鍋島とともに有田陶磁器を代表する存在であり、輸出によってヨーロッパの窯業界にも大きな影響を与えました。
柿右衛門窯の特徴である「濁手」と呼ばれる乳白色の失透釉の素地は、江戸時代中期以降衰退していましたが、父親と共に1953年にその復元に成功し、文化財保護委員会から無形文化財の記録選択を受けました。
1963年には、父親が承認、13代柿右衛門を襲名しました。一生を工芸の発展に尽力しました。

 

さいごに

柿右衛門は、日本の陶磁器の歴史において、非常に重要な役割を果たしました。彼が創始した色絵技術は、有田焼を代表する技術となり、世界中の陶磁器愛好家たちに愛される作品を生み出しました。
彼はまた、伝統的な柿右衛門レッドの色合いを確立し、これまでに多くの作家たちに影響を与えてきました。
柿右衛門の作品は、今でも多くの人に愛されており、その美しさや技術的な能力は、現代の陶磁器作家たちにも大きな影響を与えています。

 

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