お客様負担0円の総合買取サービス店|銀座パリス北千住学園通り店|ご自宅にある不要な買取対象品をお気軽にお持ちください

COLUMN

コラム

2023/04/28

CHANEL(シャネル)とは【北千住 買取 銀座パリス北千住学園通り店】

こんにちは!銀座パリス北千住学園通り店です。
今回は女性の憧れであるCHANEL(シャネル)をご紹介します。

シャネルとは

世界中で人気のある高級ラグジュアリーブランドです。
メインターゲットは女性で、気高く気品あるデザインのアイテムを展開しています。
コンセプトは「古い価値観にとらわれない自由で自立した女性像」です。

現在ではバッグや財布、洋服だけではなく、アクセサリーやコスメなど幅広く取り扱っています。
シャネルのファッション性は勿論のこと、創業者ココ・シャネルの人間性に惹かれてシャネルに魅力を感じている女性が少なくありません。
そうしてシャネルは今日の高級ラグジュアリーブランドとしての地位を築きあげたのです。

 

シャネルの歴史

孤児院出身のココ・シャネルが1代で築き上げた高級ブランドです。
非常に波乱万丈な人生であり、シャネルが成功するまで多くの苦労がありました。
1910年、パリのカンボン通りにガブリエル・ボヌール・シャネル(ココ・シャネル)が、「シャネル・モード」という帽子屋を開業した事がシャネルの歴史の始まりです。

シャネルのデザイナーとしての才能と容姿の美しさから、経済力豊かな男性達により経済的援助をもらい開業に至っています。
シンプルでデザイン性の高い帽子は人気を博し、1915年にはビアリッツにクチュールハウスをオープンさせます。

さらに5年後にはパリにもクチュールハウスをオープンし、帽子から洋服へと規模を拡大させていきます。
1921年にはシャネルを代表する香水「オードゥ・パルファムNo.5」が誕生します。
マリリン・モンローも愛用したことで知られており、女性からの人気を集めました。

1971年に創業者であるガブリエル・シャネルが亡くなり、1983年にカール・ラガーフェルドがシャネルのデザイナーに就任しました。
トレンドを押さえたカール・ラガーフェルドのデザインは、多くの女性を虜にしています。
2019年2月19日にヴィルジニー・ヴィアール(Virginie Viard)がカール・ラガーフェルドの後任デザイナーに任命されました。
ヴィルジニー・ヴィアールはカール・ラガーフェルドと30年も一緒に仕事をしており、カール・ラガーフェルド氏から「私の右腕であり左腕」と言われるほど信頼されていました。

 

シャネルの歴代デザイナー、ディレクター

ガブリエル・ボヌール・シャネル(ココ・シャネル)

1883年フランスのオーベルニュー地方に生まれます。
本名は、ガブリエル・ボヌール・シャネル(GabrielleBonheur Chanel)
11歳の時に母親を亡くし、父親にも捨てられ、孤児院や修道院で育ちました。
18歳で修道院を出て、一時は歌手を志しましたが、当時交際していた資産家の将校エチエンヌ・バルサンの援助もあり、1909年に帽子のアトリエを開業します。

1910年にはパリのカンボン通り21番地に帽子専門店「シャネル・モード」をオープンします。
エチエンヌ・バルサンと別れた後、イギリス人青年実業家アーサー・カペルと交際し始め開設資金も援助してもらいました。
1915年には洋服も取り扱う「メゾン・ド・クチュール」をオープンさせます。
恋多き女性であったココシャネルは、最愛の人であったアーサー・カペルを事故で失い、その後も数々の男性と交際します。
1921年にはベストセラーとなる香水有名な「No.5」を発表します。
1924年には恋人のウェストミンスター公爵からプレゼントされた宝石の影響から、イミテーションパールのアクセサリーを発表します。

その後順調ではあったものの、労働者のストライキに遭い、長い時間ビジネスを閉鎖することになります。
1954年にフランスのファッション界に舞い戻ってきます。
1971年、自宅にしていたホテル・リッツにて死去。

 

カール・ラガーフェルド

カール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld)は、フランスのファッションデザイナーです。
長くシャネルやフェンディのデザイナーも担当していました。
1938年ドイツ北西部のハンブルグの裕福な家庭で生まれます。
子供の頃から絵の才能があり、ファッションデザイナーを目指していました。
1952年、14歳でパリに移住し、洋裁学校で服作りの基礎を学びます。
1954年、16歳の時にIWS(国際羊毛事務局)のコンクールのコート部門で優勝します。
17歳からピエール・バルマンのアシスタントを始め、20歳でジャン・パトゥのアーティスティックディレクターになります。

その後イタリアからパリに戻り、フリーで活動を始めます。
1963年、クロエのヘッドデザイナーに就任。
1965年、フェンディのデザイナーに就任。
1983年、シャネルのデザイナーに就任した。
1984年、自身のブランド「カール ラガーフェルド」をスタートします。
その後も数々の賞を受賞し、TIME誌が選ぶ最も影響力がある100人にファッションデザイナーとしては唯一選出されるなど、
ファッション界にとってなくてはならない最重要人物となります。

一時期、体重が100kgを超えていたものの、ディオールオムの細身のスーツを着るためだけに42kgのダイエットを成功したことは非常に話題になりました。
白髪のポニーテールで、全身ブラックなファッションに、大きめのサングラス、クロムハーツを好んで沢山身につけていました。
デザイナーとしては勿論、本人のファションも非常におしゃれで度々注目されています。
2019年、パリにて亡くなります。

 

ヴィルジニー・ヴィアール

2019年初頭にカール・ラガーフェルド亡き後、シャネルのアーティスティック・ディレクターに就任します。
近年のモード界では、既に有名な他ブランドのデザイナーを招き入れるのが多かったです。
しかしヴィルジニー・ヴィアールはシャネル内部で働いていたため、人物像があまり世間には知られていませんでした。
繊維業とのゆかりが深いフランス東部のリヨンで1962年に誕生します。
両親は共に医者、祖父は高級繊維であるシルク関連業を営んでたという環境で育ちます。
幼い頃からファッション関係に関心があり、20代に入るとドミニク・ボルグというコスチュームデザイナーアシスタントをします。

20代半ばに、カール・ラガーフェルドと出会い、シャネルのにインターンではあるが、刺繍分野のスタッフとして働き出します。
その後カールにとっても欠かせない存在となり、1992年にカールがクロエのデザイナーに復帰した際は、共にクロエに移籍します。
1990代後半、カールがクロエから離れ、再びシャネルに呼び戻されました。
そしてメゾンで欠かせない主要スタッフとなり、長きに渡ってカールの良き理解者であり、右腕と呼べる人物でした。
そんな中、2019年2月にカール氏が急逝すると、メゾン側はヴィアール氏を後任に抜擢するのです。
ココ・シャネルが1970年代に亡くなって以来、初の女性ディレクターがシャネルのトップになるということで世界中で注目されています。

 

まとめ

いかがだったでしょうか?
世界的なブランドであるシャネルをご紹介させて頂きました。
現在も非常に人気がある世界的なブランドですが、度重なる値上げによって、マトラッセのチェーンショルダーバッグは100万円を越え、中々手の出ないブランドになってしまいました。
それによって、中古市場でのシャネルのバッグの需要が高くなっています。
中古市場で購入すれば、状態にもよりますが、20-30万円台でチェーンバッグを購入することも可能です。
また、現在はビンテージバッグがブームになっています。
新品よりも、レトロなビンテージブランドの方が良いという層も少なくありません。
そうした理由から中古のシャネルの需要は高く、お買取でも非常に高くお買取することが出来るのです。
そんなシャネルを銀座パリス北千住学園通り店では高価買取しております。
勿論、新しいモデルや、コレクションアイテムでなくても、昔の中古品や状態の悪い物でもお値段頑張らせて頂きます。

当店は買取手数料も一切かからず、査定も無料です。
手数料や査定料と称して金額を減らされる何てお店も少なくないです。
安心、安全の銀座パリス北千住学園通り店を是非ご利用下さいませ。

 

 

お店は北千住駅の東口から、学園通り商店街をまっすぐ歩いて3分です。
のぼりや看板が出てますのでわかりやすいと思います。
場所がわからなければお気軽にお電話下さいね。

 

ホームページは下のバナーをクリック下さい。

 

↓こちらをクリック

 

銀座パリス北千住学園通り店では、幅広くお買取しております。
勿論ブランド品やブランド時計、金・プラチナから始まり、お酒、商品券や切手などなど。
どんな物でも買取出来るといっても過言ではありません!!

何が買取出来るか買取品目をぜひチェックしてみて下さい。

 

↓こちらをクリック

 

査定のみでも勿論無料です。
ご来店お待ちしております。

前の記事 :
次の記事 :

一覧に戻る

CONTACT US