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COLUMN

コラム

2022/05/12

セリーヌの歴史 【足立区 北千住 買取 銀座パリス北千住学園通り店】

こんにちは!

 

今回は【セリーヌ】の歴史のご紹介です。

 

 

 

セリーヌの歴史

 

 

セリーヌは、1945年にセリーヌ・ヴィピアナと夫のリチャードが自分の子どもたちのためにパリで

 

子供靴のお店を開いたことからブランドが始まりました。

 

店名は、デザインを担当した妻「CELINE」と名付けられ

 

職人の技術を活かした子供靴はパリの上流階級の間で話題となり、徐々にセリーヌは知名度をあげていきます。

 

セリーヌのアイデンティティは、最高級の革を使い、一流の革職人が作りあげるクラフツマンシップにありました。

 

そのこだわりに魅力された大人の女性も、セリーヌに注目するようになります。

 

その結果、1959年に婦人靴も作るようになっていきました。

 

 

 

フレンチカジュアル

 

 

フレンチカジュアルの代名詞であるB.C.B.Gとは、「ベーセーベージェ=Bon Chic Bon Genre」の略で

 

「フランス上流階級の品の良い暮らし」の意味で、パリで流行した上流階級のフレンチカジュアルのスタイルです。

 

オールドセリーヌでもいまだに人気のあるモカシン「インカ」は

 

当時のパリジェンヌに高く評価されセリーヌを代表するシューズになります。

 

66年にはバッグを手がけ、セリーヌのモチーフ、馬車の金具でデザインされたサルキーバッグが大ヒットしました。

 

今でもオールドセリーヌとして価値のある名品で、今見ても決して古さを感じさせない時代を超えたアイテムです。

 

66年にはバッグを手がけ、セリーヌのモチーフ、馬車の金具でデザインされたサルキーバッグが大ヒットしました。

 

今でもオールドセリーヌとして価値のある名品で、今見ても決して古さを感じさせない時代を超えたアイテムです。

 

 

 

LVMHの傘下の参入

 

 

セリーヌがLVMHの傘下に入りブランド力が一気に向上します。

 

ファッションの流行の波は早く、B.C.B.Gは徐々に衰退していきます。

 

その流行の波は、B.C.B.Gの代名詞であったセリーヌにおおきく影響があり

 

高齢者のブランドというイメージが定着し、徐々にブランド力が低迷していきます。

 

そして時は流れ1996年、LVMHグループの傘下に入ったセリーヌは資金力をつけ

 

1997年からチーフデザイナーにマイケル・コースを起用。

 

これが大成功をむかえ、ブランド力は一気に向上します。

 

 

 

セリーヌの歴代デザイナー

 

 

セリーヌの歴代デザイナーの比較と違いについて、名作をとおしてわかりやすく解説していきます。

 

まずは、マイケルコース期です。

 

マイケル・コースは実用性を重視したスポーティーなスタイルを打ち出していきます。

 

2002年にはセリーヌの顔とも言える「ブギーバッグ」が登場します。

 

そして2003年にはセリーヌを代表するシリーズ「パリ・マカダム」を発表し

 

この2大アイコンバッグが爆発的に売れたこともあり、セリーヌは徐々にその地位を獲得していきます。

 

品質、デザイン、そして実用性に優れたアイテムの数々は、幅広い女性の支持を獲得しました。

 

マイケル・コースはその後、自身のブランドを立ち上げます。

 

マイケル・コースの退任後、2005年からロベルト・メニケッティが

 

その後はイヴァナ・オマジックが2008年までデザイナーを務めましたが

 

どちらも話題性にかけ徐々にセリーヌの人気は、薄れ始めていました。

 

しかし、ある一人の女性によりセリーヌは息を吹き返したように返り咲きます。

 

 

 

セリーヌの救世主

 

 

セリーヌの救世主フィービーファイロです。 このひとりの女性がセリーヌを

 

今の地位まで確立させた立役者といっても過言ではありません。

 

2008年、セリーヌは新しい変革を求められ

 

クロエで実績を積んだフィービー・ファイロをクリエイティブ・ディレクター兼取締役のポストを用意しました。

 

フィービーがデザインするシックでミニマムなスタイルは、多くのセレブから高く評価されていきます。

 

フィービーは、「ただ、すべてきれいさっぱりにしたい」と表現しており無駄なものを削ぎ落とし

 

素材の良さや、本来の皮職人のクラフツマンシップの精神に回帰するようなデザインを心掛けました。

 

そして全世界で大ヒットしたバッグ「ラゲージバッグ」を生みだします。

 

ドレスとカジュアルの中間にあるようなフォルムのバッグは

 

TPO問わずどのようなシーンでも使えることが高く評価され、全世界で大ヒットするのです。

 

他にもフィービーは、アイコンとなるセリーヌのバッグを手がけており

 

「カバ」「クラシック」「トラペーズ」など、これらは未だに人気のある商品で

 

エディ着任後も販売しているほど定番化しています。

 

 

 

音の香りを加えたデザイナー

 

 

フィービーファイロが辞任し、新しく就任したのは、ディオールオムやサンローランの

 

クリエイティブディレクターを務めていたエディスリマンでした。

 

エディは、歴史上初のセリーヌメンズラインを手がけ

 

大人の女性のために作っていた今までのセリーヌに、終わりを告げます。

 

しかし、その中でもスキニーパンツを大衆に広めたのは彼の大きな功績の一つです。

 

今や当たり前になったスキニーパンツですが、当時は衝撃的なことでした。

 

タイトなシルエットや、60s,70s,80sのロックカルチャーをベースに、そのスタイルはブレません。

 

そのブレないスタイルが世の男性を惹きつける魅力なのです。

 

また、エディは、サンローラン史上最高の売上を伸ばした大きな立役者であり

 

彼がデザインを手掛けたライダースやテディジャケットは、いまだに定番になっています。

 

セリーヌがエディを起用した理由は、メンズ層を獲得したかったことが大きな目的とされています。

 

 

 

CÉLINEからCELINEにロゴ変更

 

 

CELINEのÉではないロゴマーク、実は、1960年代にCELINEの創設者によって作られていたデザインなのです。

 

エディスリマンは、「CELINEのロゴ変更はセリーヌの新たなスタートと

 

創設者のセリーヌ・ヴィピアナをリスペクトして作ったロゴだ」と表現しています。

 

CELINEは、ウィメンズブランドとして広く知られています。

 

新しくなったセリーヌはメンズだけではなく、ウィメンズコレクションも大幅にイメージが変わりました。

 

エディがセリーヌに就任した初日にデザインし、レディー・ガガが持ったことで話題になった「16 (セーズ)」

 

日本だと長澤まさみさんが着用したことでも話題になりました。

 

 

 

まとめ

 

 

エディ・スリマンが手掛ける新生セリーヌのシンボルであるとともに、クラシックをベースとして

 

セリーヌ 創業時のクラフツマンシップに敬意を表したデザインで

 

エディらしいシックでストイックなプロダクトはとても魅力的です。

 

 

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