こんにちは!銀座パリス北千住学園通り店です。
今回は女性の憧れであるCHANEL(シャネル)をご紹介します。
世界中で人気のある高級ラグジュアリーブランドです。
メインターゲットは女性で、気高く気品あるデザインのアイテムを展開しています。
コンセプトは「古い価値観にとらわれない自由で自立した女性像」です。
現在ではバッグや財布、洋服だけではなく、アクセサリーやコスメなど幅広く取り扱っています。
シャネルのファッション性は勿論のこと、創業者ココ・シャネルの人間性に惹かれてシャネルに魅力を感じている女性が少なくありません。
そうしてシャネルは今日の高級ラグジュアリーブランドとしての地位を築きあげたのです。
孤児院出身のココ・シャネルが1代で築き上げた高級ブランドです。
非常に波乱万丈な人生であり、シャネルが成功するまで多くの苦労がありました。
1910年、パリのカンボン通りにガブリエル・ボヌール・シャネル(ココ・シャネル)が、「シャネル・モード」という帽子屋を開業した事がシャネルの歴史の始まりです。
シャネルのデザイナーとしての才能と容姿の美しさから、経済力豊かな男性達により経済的援助をもらい開業に至っています。
シンプルでデザイン性の高い帽子は人気を博し、1915年にはビアリッツにクチュールハウスをオープンさせます。
さらに5年後にはパリにもクチュールハウスをオープンし、帽子から洋服へと規模を拡大させていきます。
1921年にはシャネルを代表する香水「オードゥ・パルファムNo.5」が誕生します。
マリリン・モンローも愛用したことで知られており、女性からの人気を集めました。
1971年に創業者であるガブリエル・シャネルが亡くなり、1983年にカール・ラガーフェルドがシャネルのデザイナーに就任しました。
トレンドを押さえたカール・ラガーフェルドのデザインは、多くの女性を虜にしています。
2019年2月19日にヴィルジニー・ヴィアール(Virginie Viard)がカール・ラガーフェルドの後任デザイナーに任命されました。
ヴィルジニー・ヴィアールはカール・ラガーフェルドと30年も一緒に仕事をしており、カール・ラガーフェルド氏から「私の右腕であり左腕」と言われるほど信頼されていました。
1883年フランスのオーベルニュー地方に生まれます。
本名は、ガブリエル・ボヌール・シャネル(GabrielleBonheur Chanel)
11歳の時に母親を亡くし、父親にも捨てられ、孤児院や修道院で育ちました。
18歳で修道院を出て、一時は歌手を志しましたが、当時交際していた資産家の将校エチエンヌ・バルサンの援助もあり、1909年に帽子のアトリエを開業します。
1910年にはパリのカンボン通り21番地に帽子専門店「シャネル・モード」をオープンします。
エチエンヌ・バルサンと別れた後、イギリス人青年実業家アーサー・カペルと交際し始め開設資金も援助してもらいました。
1915年には洋服も取り扱う「メゾン・ド・クチュール」をオープンさせます。
恋多き女性であったココシャネルは、最愛の人であったアーサー・カペルを事故で失い、その後も数々の男性と交際します。
1921年にはベストセラーとなる香水有名な「No.5」を発表します。
1924年には恋人のウェストミンスター公爵からプレゼントされた宝石の影響から、イミテーションパールのアクセサリーを発表します。
その後順調ではあったものの、労働者のストライキに遭い、長い時間ビジネスを閉鎖することになります。
1954年にフランスのファッション界に舞い戻ってきます。
1971年、自宅にしていたホテル・リッツにて死去。
カール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld)は、フランスのファッションデザイナーです。
長くシャネルやフェンディのデザイナーも担当していました。
1938年ドイツ北西部のハンブルグの裕福な家庭で生まれます。
子供の頃から絵の才能があり、ファッションデザイナーを目指していました。
1952年、14歳でパリに移住し、洋裁学校で服作りの基礎を学びます。
1954年、16歳の時にIWS(国際羊毛事務局)のコンクールのコート部門で優勝します。
17歳からピエール・バルマンのアシスタントを始め、20歳でジャン・パトゥのアーティスティックディレクターになります。
その後イタリアからパリに戻り、フリーで活動を始めます。
1963年、クロエのヘッドデザイナーに就任。
1965年、フェンディのデザイナーに就任。
1983年、シャネルのデザイナーに就任した。
1984年、自身のブランド「カール ラガーフェルド」をスタートします。
その後も数々の賞を受賞し、TIME誌が選ぶ最も影響力がある100人にファッションデザイナーとしては唯一選出されるなど、
ファッション界にとってなくてはならない最重要人物となります。
一時期、体重が100kgを超えていたものの、ディオールオムの細身のスーツを着るためだけに42kgのダイエットを成功したことは非常に話題になりました。
白髪のポニーテールで、全身ブラックなファッションに、大きめのサングラス、クロムハーツを好んで沢山身につけていました。
デザイナーとしては勿論、本人のファションも非常におしゃれで度々注目されています。
2019年、パリにて亡くなります。
2019年初頭にカール・ラガーフェルド亡き後、シャネルのアーティスティック・ディレクターに就任します。
近年のモード界では、既に有名な他ブランドのデザイナーを招き入れるのが多かったです。
しかしヴィルジニー・ヴィアールはシャネル内部で働いていたため、人物像があまり世間には知られていませんでした。
繊維業とのゆかりが深いフランス東部のリヨンで1962年に誕生します。
両親は共に医者、祖父は高級繊維であるシルク関連業を営んでたという環境で育ちます。
幼い頃からファッション関係に関心があり、20代に入るとドミニク・ボルグというコスチュームデザイナーアシスタントをします。
20代半ばに、カール・ラガーフェルドと出会い、シャネルのにインターンではあるが、刺繍分野のスタッフとして働き出します。
その後カールにとっても欠かせない存在となり、1992年にカールがクロエのデザイナーに復帰した際は、共にクロエに移籍します。
1990代後半、カールがクロエから離れ、再びシャネルに呼び戻されました。
そしてメゾンで欠かせない主要スタッフとなり、長きに渡ってカールの良き理解者であり、右腕と呼べる人物でした。
そんな中、2019年2月にカール氏が急逝すると、メゾン側はヴィアール氏を後任に抜擢するのです。
ココ・シャネルが1970年代に亡くなって以来、初の女性ディレクターがシャネルのトップになるということで世界中で注目されています。
いかがだったでしょうか?
世界的なブランドであるシャネルをご紹介させて頂きました。
現在も非常に人気がある世界的なブランドですが、度重なる値上げによって、マトラッセのチェーンショルダーバッグは100万円を越え、中々手の出ないブランドになってしまいました。
それによって、中古市場でのシャネルのバッグの需要が高くなっています。
中古市場で購入すれば、状態にもよりますが、20-30万円台でチェーンバッグを購入することも可能です。
また、現在はビンテージバッグがブームになっています。
新品よりも、レトロなビンテージブランドの方が良いという層も少なくありません。
そうした理由から中古のシャネルの需要は高く、お買取でも非常に高くお買取することが出来るのです。
そんなシャネルを銀座パリス北千住学園通り店では高価買取しております。
勿論、新しいモデルや、コレクションアイテムでなくても、昔の中古品や状態の悪い物でもお値段頑張らせて頂きます。
当店は買取手数料も一切かからず、査定も無料です。
手数料や査定料と称して金額を減らされる何てお店も少なくないです。
安心、安全の銀座パリス北千住学園通り店を是非ご利用下さいませ。
お店は北千住駅の東口から、学園通り商店街をまっすぐ歩いて3分です。
のぼりや看板が出てますのでわかりやすいと思います。
場所がわからなければお気軽にお電話下さいね。
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銀座パリス北千住学園通り店では、幅広くお買取しております。
勿論ブランド品やブランド時計、金・プラチナから始まり、お酒、商品券や切手などなど。
どんな物でも買取出来るといっても過言ではありません!!
何が買取出来るか買取品目をぜひチェックしてみて下さい。
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ご来店お待ちしております。
こんにちは!銀座パリス北千住学園通り店です。
今回はブランドの王様である【ルイ・ヴィトン】をご紹介します。
数あるブランドの中で最も有名であると言っても差し支えないであろうブランドが【ルイ・ヴィトン】です。
ブランドの始まりは1854年に創始者ルイ・ヴィトンがパリに世界初の「旅行用トランクの専門店」をオープンしたことから始まります。
丸蓋のトランクが主流の中、ルイはトランクが重ねられるようにと平蓋のトランクを開発しました。
堅牢ながらも軽い新素材を使ったトランクは人々に衝撃を与え、瞬く間に人気が出ました。
その後ルイの後を息子ジョルジュ・ヴィトンが引き継ぎ、当時から既に出回っていたコピー対策として1888年に「ダミエ」を開発しました。
しかしダミエもコピー品が出回るようになると、1896年にはお馴染みの「モノグラム」を開発しました。
この時代に今も人気の定番ライン2つが誕生するのです。
1997年にプレタポルテ部門への参入のため、マーク・ジェイコブスを迎え入れアパレルラインをスタートします。
旅行カバンからファッションへと拡大し、世界的に知られる今日のルイ・ヴィトンへと進化しました。
創始者である「ルイ・ヴィトン」は、1821年のフランスのジュラ地方アンシェイ村で生まれます。
青年期に両親と不仲だったため、半ば家出のような形でパリへ渡り、トランク職人としての働き始めます。
職人見習いとしてマルシャル氏のもとで17年間働いた後、独立して自身のアトリエを開きました。
彼のトランク製品は、当時の他の製品と比べて軽量で丈夫であり、水にも強かったため、旅行者たちにとても人気がありました。
また、フラットトップのデザインは、積み重ねやすく、当時の一般的なドーム型のトランクと比べて優れていました。
これらの革新的なデザインがルイ・ヴィトンブランドの成功の礎となりました。
しかし本当にルイ・ヴィトンが評価されたのは、亡くなった後のことでした。
ルイの息子ジョルジュ・ヴィトンがビジネスを引き継ぎ、モノグラム・キャンバスという象徴的なパターンを開発し、ブランドは世界的な成功を収めるようになりました。
現在、ルイ・ヴィトンは高級ファッションブランドとして、世界中で人気を持っており、バッグ、革製品、アクセサリー、時計、靴、服、香水などの幅広い製品を提供しています。
1888年になると、日本の市松模様にヒントを得た「ダミエキャンバス」が誕生しました。
ダミエ・キャンバスは、交互に配置されたダークブラウンとライトブラウンの正方形が縦横無尽に続くシンプルな格子状のデザインが特徴です。
ルイ・ヴィトン創業者の息子であるジョルジュ・ヴィトンによって開発されました。
このデザインは、モノグラム・キャンバスと同様に、偽物の増加に対抗するために作られました。
またジョルジュ・ヴィトンは、このデザインを通じてブランドのアイデンティティを強化し、より多くの人々にルイ・ヴィトンの製品を識別できるようにすることを目指していました。
また、ダミエ・アズールやダミエ・グラフィットといった、カラーバリエーションも登場しています。
ルイ・ヴィトンブランドの象徴的なパターンで、1896年にジョルジュ・ヴィトンによって開発されました。
このデザインは、ルイ・ヴィトン創立者の父であるルイ・ヴィトンのイニシャル「L」と「V」を組み合わせたもの、日本の家紋からヒントを得たといわれている花の模様や星の形を交えています。
当時偽物が増えていたため、ジョルジュ・ヴィトンは独自のパターンを作成してブランドの製品を他社のものと差別化し、模倣品から本物を見分けやすくすることを目的としていました。
この象徴的なデザインは、ルイ・ヴィトンの製品に独自の個性とステータスシンボルを与え、ブランドの認知度を高めることに成功しました。
1901年には「スティーマーバッグ」が登場します。
船旅の時代に乗客たちは洗濯物を袋に入れて客室のドアノブに掛け、クリーニングに出していました。
ガストンルイ・ヴィトンはこのランドリーバッグに着想を得て「スティーマー・バッグ」を発表しました。
ソフトな素材でトランクに収納してもスペースをとらず、広げれば大容量であり、パドロックでしっかりと閉じることが出来防犯面も機能面も兼ね備えたバッグです。
1985年に「エピ・ライン」が発表されました。
「エピ」とはフランス語で「麦の穂」という意味があります。
エピという名称の由来は、レザーに型押しのラインが揺れる麦の穂のように見える事からこの名が付きました。
非常に丈夫で防水性にも優れている革素材です。
エピには「グレインレザー」という上質な革素材が使われています。
グレインレザーとは、いわゆる本革であり、耐久性に優れている素材です。
アメリカではドレスシューズなどにも使われており、その寿命はおよそ40年持つともいわれています。
グレインレザーを使ったエピは、もちろん耐久性に優れているので、長く愛用できるアイテムになるでしょう。
また、型押しのおかげで小傷などが目立ちにくいため、いつまでも美しい風合いを保ち続けてくれます。
光の当たり方によって光沢や色が変化することもこの素材の特徴です。
シンプルながら大人っぽい印象を与えてくれるコレクションです。
また、様々なデザイナーとコラボしてコレクションを展開し、新たなルイ・ヴィトンのファンを獲得しています。
ルイ・ヴィトンには創業者のルイ・ヴィトンをはじめ、何人ものデザイナーやディレクターが関わっています。
中にはファッションに詳しい人であれば名前を知っている有名な方もルイ・ヴィトンに招き入れて、新しいコレクションを発表しています。
ルイ・ヴィトンの創設者であるルイ・ヴィトン。
トランク職人であったルイは、世界初の旅行カバンのアトリエを設立しました。
ここからルイ・ヴィトンの全てが始まります。
ルイ・ヴィトンの息子であるジョルジュ・ヴィトンです。
当時から出回っていたコピー商品の対策として、「ダミエ・ライン」や「モノグラム・ライン」を発表するなどの功績を収めました。
どちらもルイ・ヴィトンを象徴する人気ラインです。
1997年にプレタポルテ部門への参入ためクリエイティヴ・ディレクターとして迎え入れたのがマーク・ジェイコブスです。
1986年には自身のブランド「マーク・ジェイコブス」を立ち上げた経験もあり、ルイ・ヴィトンでアパレルラインをスタートさせます
草間弥生や村上隆など現代アーティストとのコラボによって話題を呼びました。
メゾンマルタンマルジェラで経験を積み、2006年にルイヴィトンのメンズディレクターに就任しました。
メンズの定番ラインの「モノグラム・マカサー」を生み出します。
5年もの間、マーク・ジェイコブスのもと、ポール・エルバースがメンズスタジオ・ディレクターを務めました。
2011年からルイ・ヴィトンのメンズコレクションのチーフディレクターに就任します。
2003年には自身のブランド「キム・ジョーンズ」を設立、2008年にはダンヒルのクリエイティヴ・ディレクターに就任します。
その後2011年にルイ・ヴィトンのメンズコレクションのチーフディレクターに就任しました。
2013年にマーク・ジェイコブスが自身のブランドに専念することを理由に退任します。
後任としてアーティスティック・ディレクターに就任したのがニコラ・ジェスキエールです。
ニコラはアニエスベーなどで経験を積み、ジャンポール・ゴルチエ、トラサルディ、バレンシアガのデザイナーの経験もあります。
2013年に自身のブランドであるオフホワイトを設立し、翌年コレクションデビューします。
2018年ルイヴィトンのメンズクリエイティブディレクターに就任しました。
2019春夏のファーストコレクションはストリートとラグジュアリーを掛け合わせて話題を呼びました。
ラグジュアリーストリートを流行らせた第一人者です。
デザインナー以外にも、実業家、建築家、DJとしての顔ももち、ファッション業界の最重要人物です。
2021年11月28日に癌のため惜しまれながら41歳の若さでこの世を去りました。
いかがだったでしょうか?
世界的なブランドであるルイ・ヴィトンをご紹介させて頂きました。
現在も尚新しいコレクションや、新しいアイテムをリリースして、ファンを楽しませてくれるルイ・ヴィトンから目が離せませんね。
そんなルイ・ヴィトンを銀座パリス北千住学園通り店では高価買取しております。
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勿論ブランド品やブランド時計、金・プラチナから始まり、お酒、商品券や切手などなど。
どんな物でも買取出来るといっても過言ではありません!!
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ご来店お待ちしております。
こんにちは!銀座パリス北千住学園通り店です。
今回は世界の大きいダイヤモンドをご紹介します。
世界最大のダイヤモンドであるエニグマは黒ダイモンドです。
ずっと個人所有されていましたが、2022年にサザビーズでオークションにかけられました。
お守りとして「人間の手の5本指」のシンボルであるハムサをモチーフに、5という数字にこだわったエニグマは、
原石を55面、555.55カラットにしたという遊び心のあるダイヤモンドです。
研磨に約4年かかりましたが、ザ・ゴールデン・ジュビリーよりもさらに9.88カラット(約2グラム)重いダイヤモンドが誕生しました。
エニグマは2006年に世界最大のカット済みダイヤモンドとしてギネス世界記録に認定されています。
ザ・ゴールデンジュビリー(The Golden Jubilee)は、エニグマが登場するまで世界最大の研磨済みダイヤモンドでした。
重さは545.67カラットです。
このダイヤモンドは、1985年に南アフリカ共和国のプレミア鉱山で発見されました。
原石は755カラット(151g)もあります。
ユダヤ人の宝石研磨師ガブリエル・トルコフスキーによってカットされました。
カラーはオレンジがかった濃いブラウンでカラーグレードはファンシーイエローブラウンです。
カットはファイアーローズクッションカットと呼ばれる台形のファセットが配された特徴的なカットです。
1997年に、タイ国王ラーマ9世の50周年の戴冠記念(ゴールデンジュビリー)を祝うため、贈呈されました。
この贈呈を機に、「ザ・ゴールデンジュビリー」の名がつけられました。
1905年に南アフリカのプレミア鉱山で発掘されました。
カット前の原石の大きさは3106.75カラットとされ、産出された原石の中では世界最大と言われています。
しかし、これすら本体のみ一部と言われており、地中にある残りはまだ見つかっていません。
カリナン・ダイヤモンドは1907年に英国王エドワード7世の66歳の誕生日記念に献上されました。
その後アムステルダムのロイヤル・アッシャー社が、大粒なダイヤモンド9石と小粒の96石にカッティングします。
大粒の9石はそれぞれ、カリナンⅠ~Ⅸと呼ばれ、上位4石は名前もついています。
カリナンⅠ 530.20ct グレートスター オブ アフリカ (ペアシェイプカット)
カリナンⅡ 317.40ct セカンドスター オブ アフリカ (クッションカット)
カリナンⅢ 94.40ct レッサースターズオブ アフリカ (ペアシェイプカット)
カリナンⅣ 63.60ct レッサースターズオブ アフリカ (クッションカット)
カリナンⅤ 18.80ct
カリナンⅥ 11.50ct
カリナンⅦ 8.80ct
カリナンⅧ 6.80ct
カリナンⅨ 4.39ct
1984年にアフカリのコンゴで890カラットの原石が発見されました。
このダイヤの原石を15個に分けてカットしました。
その中の一番大きいダイヤモンドが、ペアシェイプのインコンパラブルです。
このダイヤモンドは407.48ctに研磨されました。
色はファンシー・ブラウニッシュ・イエローです。
原石は890カラットもあり、15個に分けてカットされました。
アメリカのダラス州の宝石商ゼール社代表ドナルド・ゼール、ニューヨークのプレミア・ジェム社のマーヴィン・サミュエル、ルイス・グリックの3人が共同で所有しております。
3位のカリナンの原石からカットされたもので、カリナンⅠの次に大きいサイズです。
色は無色でクッションカット、現在はロンドン塔に展示されています。
アフリカ中西部で発見されたブラックダイヤモンドです。
587カラットの原石はモグールカットにされ、702粒のダイヤモンドを配したホワイトゴールドの指輪にセッティングされました。
ドゥグリゴソノという名前はスイスの高級時計でありジュエラーブランドであるドゥグリゴソノがカッティングしてこの名称がつけられました。
世界最大級のブラックダイヤモンドでありながら、詳細は不明となっている謎のダイヤモンドです。
1550年頃にゴルコンダの近くの鉱山で発見され、色は無色、原石は787.50カラットもありました。
内部に傷が沢山あったため、研磨後280カラットになったと言われています。
ペルシャの王シャー・ナディールによる1739年のデリー陥落により、皇帝の財宝は全てペルシャ人の手に渡り、その後行方不明となっています。
1800年代で非常に有名なダイヤモンドです。原石は340カラットで色は無色です。
インドのコラール鉱山の近郊にあるゴールコンダ王国で発掘されました。
ゴールコンダの滅亡後にハイデラバード王国君主のニザームが所有し、ニザムと名付けられました。
1986年に南アフリカのプレミア鉱山で発見されました。
色は完全無色のDグレードでフローレスという最高品質のダイヤモンドです。
599カラットの原石はハートシェイプにカットされました。
デビアス社の100周年を記念して、カットされ【The Centenary ザ・センテナリー】として売却され、現在の所有者は不明です。
1895年に南アフリカのヤガースフォンテン鉱山で発見されました。
650.80カラットの原石には、245.35ctのクッションブリリアントにカットされました。
発見当時はライツと名づけられていましたが、2年後にはジュビリーに改名されました。
その年はダイヤモンドが研磨された年であり、ビクトリア女王の即位60年祭(ジュビリー)でもあったからです。
1888年に南アフリカのデビアス鉱山で発見された428.50カラットの原石は、クッションカットが施されました。
カラーは黄色です。1982年にサザビーズオークションで売却され、現在の所有者は不明です。
いかがだったでしょうか?
世界的な大きなダイヤモンドはスケールが違いますね。
今まではザ・ゴールデンジュビリー(545.67ct)が世界最大のダイヤモンドでしたが、2022年に登場したブラックダイヤモンドのエニグマ(555.55ct)が世界最大になりました。
地中に眠っていてまだ発見されていないダイヤモンドもありますので、今後これらのダイヤモンドを超える物も現れるかもしれません。
また追加情報があればコラムでも紹介していきたいと思います。
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今回は皆さんが知っている一番有名な宝石である、ダイヤモンドについてのコラムです。
ダイヤモンドは地球上で最も硬い宝石と言われています。
鉱物の硬さを表すモース硬度が10段階で最高の10です。
和名は「金剛石(こんごうせき)」といい、4月の誕生石としても知られています。
5大宝石の一つで宝石の中では非常に高価で希少性のある宝石です。
ダイヤモンドは炭素原子から成る宝石で、約99.95%の炭素で構成されています。
単一の原始から成る宝石は唯一ダイヤモンドだけです。
ダイヤモンドは100km以上もの深部に位置するマントルにて、1.500度もの高温と6万気圧という桁違いの圧力が加わり、時速500km以上の速さで吹き上げられるなどの条件が重なった時に初めて生み出される、自然が作り出した奇跡の産物と言える宝石なのです。
ダイヤモンドの起源は、はるか昔に遡り約45億年前に見つかったダイヤモンドが一番最初と言われています。
その後マグマの噴出によって、紀元前7〜8世紀頃から人々に知られるようになります。
当初は硬いだけの石と思われていましたが、次第に魔除けやお守りとして使われるようになりました。
(征服されざるもの、何よりも強い)を意味するギリシャ語のadamas(アダマス)のaが取れて、diamond(ダイヤモンド)になったと言われています。1475年にベルギーで、ダイヤモンドをダイヤモンドで磨く方法が発明されると、その美しさが知れ渡るようになります。
ダイヤモンドのグレードは、通常「4C」と呼ばれる基準で評価されます。
買取店でダイヤモンドを売る場合は、上記の4Cの評価に基づいて値段が決まります。
ダイヤモンドのサイズが大きければ大きいほど、綺麗であればあるほどお値段が高価になります。
それでは4Cについて細かくご説明させてい頂きます。
ダイヤの品質を決める4つの要素の頭文字をとったのが4Cです。
以下4Cをそれぞれご説明します。
石の重さの単位、1カラットは0.2グラムです。
ダイヤモンドは、1907年のメートル条約で定められたメートルカラット単位で計算します。
カットされた形、研磨、仕上がりのことです。
Excellent・VERY-GOOD・GOOD・FAIR・POOR
の計5段階でグレード分けがされています。
ダイヤモンドの色です。
最高ランクのカラーである「D」からアルファベット順になっています。
カラーがDから始まる理由は、ダイヤの頭文字をとった説、D以上のグレードが発見された時のためにABCを開けてあるなど諸説あります。
透明度を表します。
FL(Flawless)・IF(Internally Flawless)
VVS1(Very Very Slightly)・VVS2(Very Very Slightly)
VS1(Very Slightly)・VS2(Very Slightly)
SI1(Slightly Included)・SI2(Slightly Included)
I1(Imperfection)・I2(Imperfection)・I3(Imperfection)
の11段階あります。
いかがだったでしょうか?
ダイヤモンドと一言に言っても、色々なグレードのダイヤモンドがあり、お値段もピンキリです。
お店によっては、小さいダイヤモンドは値段がつかない、色が茶色いブラウンダイヤや、カーボンなど内包物が入っているクラリティがI-I2ランクの綺麗でないダイヤモンドは値段がつかないなどと言っているお店も少なくありません。
しかし当店では、どんなに小さい0.1ct以下のダイヤモンドでも、品質の悪いダイヤモンドでもしっかりとお値段をおつけします。
知識がないばかりに、値段がつかずに土台の金やプラチナだけの値段になりますと説明してくる店員もいますのでお気をつけ下さい。
その点当店のようにしっかりとダイヤモンドを査定出来る鑑定士のいる買取店であれば安心です。
なぜこのお値段になるのか1点ずつしっかりと説明させて頂きます。
勿論お値段にご納得出来なければお持ち帰り頂いて結構です。
査定も無料ですので、お気軽にご来店下さいませ。
当店は買取手数料も一切かからず、査定も無料です。
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