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ヴァシュロン コンスタンタンの歴史 【足立区 北千住 買取 銀座パリス北千住学園通り店】

こんにちは!

 

今回は【ヴァシュロンコンスタンタン】の歴史のご紹介です。

 

 

 

ヴァシュロン・コンスタンタンとは

 

 

1755年の創業から一度も途切れることなく現在に至った世界最古の時計ブランド、ヴァシュロン・コンスタンタン。

 

単に歴史が長いだけでなく、パテック・フィリップ、オーデマ・ピゲと並んで

 

世界3大時計ブランドと称される名実ともに最高峰です。

 

シンプルなドレスウォッチからラグジュアリーなスポーツモデルまで

 

持ち味を生かしたコレクションで時計界をリードしています。

 

一見しただけでは読み方に戸惑ってしまうVacheron Constantinの名前ですが

 

現在はフランス語読みの「ヴァシュロン・コンスタンタン」が一般化されています。

 

ただ、英語読みやドイツ読みでは「バセロン・コンスタンチン」の発音が近く

 

以前は日本の時計雑誌でも「バセロン・コンスタンチン」として紹介されていました。

 

リシュモングループ傘下に入ってから表記が改められはじめ、日本では2002年頃から公式サイトや時計雑誌を含め

 

「ヴァシュロン・コンスタンタン」と読まれるようになりました。

 

 

 

ヴァシュロン・コンスタンタンの歴史

 

 

1755年、時計産業が盛り上がりを見せていたジュネーブにて開かれた小さな時計工房が始まりでした。

 

当時24歳だった時計職人のジャン=マルク・ヴァシュロン氏がこの年に制作した懐中時計は

 

アラベスク装飾を施した美しいムーブメントが搭載されていたと言われていっます。

 

美的感覚に優れた芸術的なヴァシュロン・コンスタンタンの時計造りは、この時から根付いています。

 

 

 

3名の偉人の存在

 

 

ヴァシュロン氏の技術と意志は息子のアブラアム氏、さらに孫のジャック・バルテルミー氏へ脈々と受け継がれていきました。

 

繊細かつ大胆なアイデアを持ち、ミニッツリピーターなどの複雑時計制作の才に長けたバルテルミー氏は

 

現在のヴァシュロン・コンスタンタンの礎を築いたとも言われる人物です。

 

彼がスイスからフランスへと順調に販路を開拓し、さらにイタリアへと進出した時に

 

優れた営業マンのフランソワ・コンスタンタン氏と出会います。

 

その手腕に魅了されたバルテルミー氏は即座にコンスタンタン氏を共同経営者へと迎え

 

「ヴァシュロン&コンスタンタン」が誕生しました。

 

コンスタンタン氏は、フランスやイタリア、アメリカ、メキシコ、キューバからアジアに至るまで

 

世界各国を行商し、ビジネスセンスで瞬く間にヴァシュロン・コンスタンタンを国際的なブランドへと成長させました。

 

更に1839年に経営に参加した機械技師ジョルジュ=オーギュスト・レショー氏が

 

「パンタグラフ」を始めとする製造効率とクオリティを高めるいくつもの工作機械を発明しました。

 

創業者ヴァシュロン氏に、フランソワ・コンスタンタン、ジョルジュ=オーギュスト・レショーの両氏を含めた3人が

 

ヴァシュロン・コンスタンタンを世界最高峰の時計メゾンへと成長させた立役者として語られています。

 

 

ケ・ド・リルのブティック

 

 

1875年にはローヌ川の中洲ケ・ド・リルに新社屋を設立します。

 

1906年には、ブランド初となるブティックをこの建物の1階にて開業しました。

 

創業200周年を迎えた1955年には、世界で最薄となる厚さ1.64mmの機械式ムーブメントを発表し

 

1970年には社名から”&”を省き、現在の「ヴァシュロン・コンスタンタン」と変更しました。

 

時計業界のトップを走る続けるこのブランドは、今なお美しさと機能を極めたコレクションを手がけ続けています。

 

 

 

ロゴの意味

 

 

マルタクロスとも呼ばれるヴァシュロン・コンスタンタンのロゴは、1880年に商標登録されました。

 

キリスト教の騎士修道会、聖ヨハネ騎士団(マルタ騎士団)が掲げたとされるマークで

 

4つの扇形紋章を結合させた8つの角が特徴的です。

 

ヴァシュロン・コンスタンタンは、香箱のカバーにかつてつけられていた部品のデザインが似ていたことから

 

マルタ十字のロゴが採用されました。

 

ブランドの誇りを体現するシンボルマークとして、文字盤やリューズ、ラグなどに用いています。

 

 

 

ヴァシュロン・コンスタンタンの技術力

 

 

1790年に初めて複雑機構の壁時計を制作して以来、長い歴史のなかで技術を研ぎ澄ませてきたヴァシュロン・コンスタンタン。

 

1884年には表裏両面に文字盤が配されたダブルフェイスのポケットウォッチを制作しました。

 

一方の文字盤には高度な技術を要するパーペチュアルカレンダーが備えられていました。

 

1929年には、スイスで暮らすエジプト人たちがエジプト国王ファード1世に贈った

 

グランドコンプリケーションウォッチを手がけました。

 

クロノグラフ、永久カレンダー、ミニッツリピーター、グランソネリとプチソネリを組み合わせた懐中時計は

 

この時代に実現可能だった全ての技術が詰められています。

 

また、ただ複雑機構を組み込むだけでなく、ケースバックをエナメルで描いた王室の紋章で飾るなど

 

創業以来伝わる美に対するこだわりも感じさせます。

 

 

 

定番モデルの紹介

 

 

「パトリモニー」

 

 

ドレスウォッチの王道にして最高峰「パトリモニー」。

 

こちらはデイト表示すらも排した極めてシンプルな2針モデルになっています。

 

極限まで針をスリム化することでダイヤルに大きな余白を残しています。

 

マルタ十字を表現する上下左右のインデックスの美しさもさることながら

 

小さなドットインデックスにも鏡面磨きを施すという非の打ち所がない仕上がりとなっています。

 

 

「トラディショナル・クロノグラフ」

 

ブランドの技術力を結集した「トラディショナル」コレクションのクロノグラフモデル。

 

2カウンターのクロノグラフというオーソドックスなデザインで

 

ヴァシュロン・コンスタンタンならではの気品と風格が漂います。

 

シースルーバック仕様のケースから複雑機構のムーブメントを思う存分楽しめる設計となっているのが特徴です。

 

 

「オーヴァーシーズ・オートマティック」

 

”海を渡る”というコンセプトの元に作られた

 

ヴァシュロン・コンスタンタン唯一のスポーツウォッチコレクション「オーヴァーシーズ」。

 

150mという充分な防水性能に加え、耐久性の高いステンレススチールケースによってアクティブに使用できる一本です。

 

マルタクロスを想起させるベゼルデザインが愛好家たちの心を鷲掴みにしています。

 

 

 

まとめ

 

創業260年という途方もなく長い歴史を持つ時計ブランド、ヴァシュロン・コンスタンタン。

 

マルタ十字をシンボルに持つ腕時計には、あらゆる時代をくぐり抜けてきた

 

このブランドにしか出せない高貴な雰囲気を醸し出しています。

 

 

 

銀座パリス北千住学園通り店では

ただ今、ヴァシュロンコンスタンタン製品を強化買取しています!

 

査定は無料ですのでお気軽にご来店下さい☆

 

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プラダの歴史 【足立区 北千住 買取 銀座パリス北千住学園通り店】

こんにちは!

 

今回は【プラダ】の歴史のご紹介です。

 

 

 

プラダの歴史

 

 

プラダは兄のマリオ・プラダ、そしてその弟のマルティーノ・プラダの2人の兄弟によって

 

今から100年以上も昔の1913年にイタリアで創業しました。

 

兄のマリオ・プラダは各国を旅して、ワニ、蛇、象やセイウチなどの珍しい素材や高品質な皮革を集め

 

それらを使い優れた職人技術によって豪華な鞄を作成しました。

 

これがミラノの上流階級の人々から評判になり、イタリア王室の御用達となりました。

 

プラダの質の高い製品は欧米に知れ渡り、ブランドを大きく成長させました。

 

またプラダはミラノの中心部に位置するアーケード

 

ビットリオ・エマヌエーレ2世ガレリアに店舗をオープンしました。

 

その後兄のマリオ・プラダは、その時代の旅行用バッグに一般に使われていた

 

セイウチ等の革などで作られた高級で重いスーツケースは実用的ではないと思い

 

軽い防水生地が使われているバッグを発表しました。

 

 

 

経営不振によるブランドの低迷

 

 

順調に事業を進めていき、プラダは2号店を開店しました。

 

しかし当時は第一次世界大戦から第二次世界大戦かけての時代で

 

順調にいっていたプラダにもその戦争が大きく影響をもたらしました。

 

戦争という緊急事態においてプラダのような高級革製品を持って旅行するということは

 

時代にそぐわないものとなってしまいました

 

その後さらに開店予定だった3号店は開店が中止となり、プラダの本店は経営不振に陥り

 

なんとか持ちこたえたものの今度は戦争の爆撃にあってしまい、さらに経営不振に拍車がかかり

 

本店を残し2号店は閉店してしまいます。

 

弟のマルティーノ・プラダはこの戦争の期間中に政治的問題で

 

兄マリオ・プラダのもとを離れて、その後は兄マリオ・プラダのみでの経営となりました。

 

その後マリオ・プラダが亡くなってしまうと、マリオ・プラダのあとを継いだのは

 

ナンザとルイーダという2人の娘でした。

 

そこでプラダは、大きく方向転換をします。

 

ターゲット層をこれまでの上流階級から、戦後復興の立役者であった中流階級に変更しました。

 

プラダの成功は、創業者のマリオ・プラダの存在が大きく、一時期は大きく飛躍しましたが

 

彼の死後は不遇の時代を迎えブランドとして大きく低迷していく事となってしまいました。

 

 

 

プラダを救った創業者の孫娘

 

 

創業者マリオ・プラダの死後長く低迷する期間が続いていたプラダでしたが

 

創業者マリオ・プラダの孫娘にあたるミウッチャ・プラダが経営者兼デザイナーに就任した事によって

 

ブランドは劇的な復活を遂げていきます。

 

ミウッチャ・プラダの後の夫となるパトリツィオ・ベルテッリとの出会いです。

 

パトリツィオ・ベルテッリは元々腕の立つビジネスマンで

 

高品質の革小物の製造で高い評価を得ているメーカーを所有していました。

 

 

 

異色のナイロン素材「ポコノ」

 

 

「ポコノ」は、光沢のあるナイロン素材に三角形のブランドロゴを配置した

 

ブランドの代名詞と呼べるあまりにも有名なシリーズです。

 

このブランドの代名詞である「ポコノ」を生み出したのはミウッチャ・プラダでした。

 

このポコノシリーズの誕生こそミウッチャ・プラダが、ブランドの救世主と呼ばれる最大の要因です。

 

当時ブランドの停滞に悩んだミウッチャ・プラダは、バッグに使用する新しい素材を模索します。

 

そこで、テントやパラシュートなどのミリタリー用品に使われている

 

ナイロン素材「ポコノ」をバッグに取り入れることを考案します。

 

「ポコノ」はシルクのような肌触りと軽さ、丈夫さを兼ね備える素材でしたがブランド内部でも

 

この素材を取り入れることに批判的な声が多く上がりました。

 

しかし、ミウッチャ・プラダは「これまでにない革新的なものを」というスタンスを崩さず

 

発売から数年かけて「ポコノ」シリーズを見事に大ヒットさせました。

 

今でこそ合成皮革やナイロン等の素材を使ったブランドバッグは多く見られるようになりましたが

 

ポコノはその「走り」としてラグジュアリーブランドの流行を牽引し続けています。

 

また現在もこのポコノシリーズは変化を続けています。

 

 

 

レザーアイテムの代表 「サフィアーノ」

 

 

ナイロン素材の「ポコノ」をイメージする方が多いかと思います。

 

しかしプラダはもともと皮革製品を扱うブランドとして創業しており

 

もちろんその創業当初から変わらない革製品でも高い評価を得ているのです。

 

そんなプラダの革製品の中でも定番なのが、高品質なサフィアーノレザーを使用した「サフィアーノ」です。

 

サフィアーノレザーは正式名称をサフィアノメタルオロといい、牛革に型押し加工が施されたものを指します。

 

型押し加工によって傷や汚れに強くなるといった特徴があります。

 

ちなみにこのサフィアーノレザー自体はあくまで素材の名称であり、プラダ独自の名称ではありません。

 

プラダ以外のブランドでも使用されている素材ではありますが

 

プラダではサフィアーノレザーをプラダの一つのシリーズとしてブランド化している為

 

「サフィアーノといえばプラダ」というイメージが一般に広まり定着しているのです。

 

 

 

カジュアルアイテム「カナパ」

 

 

2010年に登場した比較的新しいシリーズですが、プラダの他のシリーズに比べてリーズナブルな価格設定と

 

カジュアルなファッションで普段使いが可能なアイテムということで特に若い女性から爆発的な人気を得ており

 

新しいシリーズにかかわらず既にプラダの定番シリーズとなっています。

 

 

 

ラグジュアリーとスポーツの融合

 

 

1つ目が「リネアロッサ」と呼ばれるプラダのスポーツウェアのラインです。

 

またリネアロッサというのは、以前はプラダスポーツと呼ばれていたラインです。

 

1997年に発表されたプラダスポーツは、レジャー向けのスポーティーなコレクションで

 

ブラックやグレーなどのベーシックなカラーに赤のラインが印象的で「赤のライン」とも呼ばれます。

 

いきなりですがここでプラダが「アメリカズカップ」というヨットレースに参加していることはご存知でしょうか?

 

日本ではあまり馴染みがないかもしれませんが、アメリカスカップというのは1851年から現在まで続いている

 

歴史ある国際的ヨットレースで、オリンピックやワールドカップ等よりも歴史のある由緒あるレース競技です。

 

なぜこのヨットレースの話が急に出てきたのかというと、実は「リネアロッサ」というラインは

 

このヨットレースの参加の下地作りの為に誕生したブランドラインなのです。

 

ヨットレースが背景にあるだけに、本ラインに比べるとかなりスポーティでカジュアルなラインとなっており

 

一時期は若い世代でカジュアルなファッションに取り入れられることが多いラインでした。

 

しかしその後はこのラインは暫くの間休業してしまいましたが、ライン名もプラダ・スポーツから誕生時の

 

リネアロッサに新たに生まれ変わって2018年秋冬シーズンから再始動しています。

 

 

ラグジュアリーとストリート

 

今でこそラグジュアリーブランドのスポーティなアイテムも多く見かけますが

 

20年以上も前にこのラインを誕生させていたプラダというブランド

 

そしてミウッチャ・プラダの時代の先を読む力には驚かされますよね。

 

 

 

PRADAのセカンドライン

 

 

ミュウミュウはミウッチャ・プラダが1993年にプラダのセカンドラインとして誕生させたブランドです。

 

プラダもミュウミュウもそのブランドは知ってはいるものの

 

意外にミュウミュウがプラダのセカンドラインのブランドであったというのは

 

知らかなったという方も多いのではないでしょうか。

 

そのブランドコンセプトを象徴するようにミュウミュウのブランドネームは

 

実はデザイナーであるミウッチャ・プラダの子供の頃のあだ名が由来となっています。

 

その為プラダに比べデザインは少しガーリーでかわいらしい物が多いですが

 

素材はプラダ同様に上質な革を使用しています。

 

 

 

メンズに人気ブランド

 

 

プラダというブランドといえば、既存のイメージではレディースのイメージが強いブランドかと思いますが

 

現在のプラダは実はメンズにもその人気が高まっています。

 

 

 

アパレルアイテムの展開

 

 

一つ目の理由がメンズのファッショントレンドを牽引するアパレルアイテムを展開しているという点です。

 

バッグや財布のイメージが強いプラダでアパレル?と思われるかもしれませんが

 

実はメンズのアパレルは若者を中心に非常に人気が高まっています。

 

またメンズの中でも以前と比べると現在のプラダは変化しています。

 

以前のメンズのプラダといえば、どちらかというとスーツや革靴、ビジネスバッグ等

 

ビジネスシーンで使用されるアイテム展開が多く、少し固いイメージだったのに対し

 

現在は様々な種類のアパレルアイテムを展開しています。

 

そんなプラダのアパレルアイテムはファッションのトレンドを牽引しており

 

現在流行しているアイテムや、そのスタイルはプラダが発端となり流行を作っている物が数多くあります。

 

 

 

まとめ

 

 

イタリアで生まれた100年以上も歴史を持つラグジュアリーブランドのプラダについてご紹介させて頂きました。

 

 

 

銀座パリス北千住学園通り店では

ただ今、プラダ製品を強化買取しています!

 

査定は無料ですのでお気軽にご来店下さい☆

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ブルガリの歴史 【足立区 北千住 買取 銀座パリス北千住学園通り店】

こんにちは!

 

今回は【ブルガリ】の歴史のご紹介です。

 

 

 

ブルガリの歴史

 

 

世界的に知られるイタリアの高級ブランド「ブルガリ」は、世界5大ジュエラーとして

 

ティファニー、カルティエ、ヴァンクリーフ&アーペル、ハリーウィンストンと並び称され

 

現在はジュエリー以外にも時計・財布・香水などが有名ですが、創業時は宝飾店としてスタートしました。

 

創業者ソティリオ・ブルガリは、日本では幕末にあたる1857年にギリシャのエピルス地方に生まれ

 

後に戦争などの影響によりイタリアに渡り、1884年にローマにてブルガリを創業しました。

 

ブランド名の「BVLGARI」のスペルが「BULGARI」でないのは

 

創業当時は古代アルファベットの表記であったため「J」「U」「W」のスペルがなく

 

かつ小文字もなかったため「BVLGARI」と表記されたそうです。

 

 

 

古代ギリシャ、ローマをモチーフ

 

 

ソティリオの生まれ育ったエピルス地方は、ギリシャの中でも銀細工が有名で彼自身も銀細工職人でした。

 

故郷に古くから伝わる伝統技術と、東ローマ帝国の建築様式であるビザンティン様式や

 

古代ギリシャの様式を見事に融合させた芸術的なデザインで

 

銀細工を中心としたジュエリーを扱う店として、ブルガリはローマで評判を呼びました。

 

その後、富裕層や海外からの旅行者などをターゲットとして、高級リゾート地として有名な

 

イタリアのソレントやスイスのサンモリッツに販路を展開し、その名声は上流階級にも広がりました。

 

1900年代に入ると、ソティリオの息子であるコンスタンティノとジョルジオの兄弟が経営に加わり

 

1934年にソティリオが亡くなった後も、父から受け継いだ才能を受け継ぎ、ブルガリブランドを躍進させていきます。

 

 

 

ハイジュエリーコレクション

 

 

優れたデザイナーでもあった二人の息子たちは、デザインにおいても当時流行した

 

アールデコ、アールヌーヴォーといったフランススタイルの影響から一線を画し、創業時のデザインに原点回帰します。

 

宝石本来の魅力を活かしたデザインの数々は、後にハイジュエリーコレクションを通して

 

「色石と言えばブルガリ」と言われる程の地位を確立します。

 

第二次世界大戦後には、後に「セルペンティ・ウォッチ」という名で

 

定番のシリーズになったヘビの形をしたブレスレットウォッチや

 

「トレンブラン」と呼ばれる花模様のブローチなど、精力的に作品群を発表しました。

 

この時期に、伝統的な古代様式をモチーフにしたデザインや

 

イタリア派と呼ばれたイタリアらしい個性に富んだデザインなど

 

現在のブルガリのデザインスタイルが確立されたと言われています。

 

 

 

ファッションブランドとしての飛躍

 

 

1950年代から60年代に掛けては、「ドルチェ・ヴィータ」(甘い生活)の時代と呼ばれ

 

ブルガリの贅沢で華やかなジュエリーは、世界中のセレブたちから注目されました。

 

エリザベス・テイラーやオードリー・ヘプバーンなどのハリウッド女優達からも愛用され世界的な名声を博します。

 

1960年代になると、コンスタンティノとジョルジオの兄弟から

 

ジョルジオの息子であるジャンニ・ブルガリへ経営が受け継がれます。

 

 

 

時計ブランドとしてスタート

 

 

宝飾ブランドとして培った加工技術を活かし、現在ではジュエリーと並び

 

人気のアイテムである腕時計コレクションの制作を本格的にスタートします。

 

この時、最初に手掛けた腕時計コレクションの名は「ブルガリ・ブルガリ」。

 

現在でも人気のこのシリーズは、当時のブルガリの新しいアイコンとなり

 

ここから次々と人気のウォッチを生み出し、ブルガリの腕時計は確固たる地位を確立します。

 

 

 

初めての時計「ダイヤモンド・ウォッチ」

 

 

ブルガリは1920年代に初めて時計を製作します。それはダイヤモンド・ウォッチでした。

 

1940年代にはヴァチカンのサンピエトロ寺院のらせん階段から着想を得たという

 

腕に巻き付けるスネークウォッチを製作しました。

 

現在では前出のセルペンティ・ウォッチとして定番の人気アイテムとなりました。

 

1955年、技法と見た目が19世紀のガスパイプに似ていることから命名された「トゥボガス・ウォッチ」を発表。

 

そして1975年に「ブルガリ・ブルガリ」の腕時計を発表します。

 

初番は今の様なスタイルではなくデジタルの腕時計で、ストラップは麻ひもで作られており

 

顧客100名へのプレゼントとして製作されました。

 

ノベルティウォッチとしてのこの時計が好評だった為

 

1977年にベゼルにブルガリ・ブルガリのロゴが入った腕時計を発表しました。

 

古代ローマの時代、皇帝の名誉を讃える文字を刻印したというコインからヒントを得た

 

「ブルガリ・ブルガリ」は後にブランドを象徴する腕時計となります。

 

古代からの伝統を守りながらも、洗練されたデザインでブランドのアイコンとなり

 

ニューモデルが毎年発表される定番アイテムです。

 

ゴールドのトゥボガス・ブレスレットやインデックスにダイヤモンドを配置したりと

 

毎回革新的なデザインを発表しています。

 

 

 

ブルガリタイムの設立

 

 

1982年にはスイスのニューシャテルに腕時計製造会社「ブルガリ・タイム」を設立しました。

 

現在は「ブルガリ・オルロジュリ」となっています。

 

ローマでデザインされた腕時計を、時計製造の本場、スイスで製作し精密で正確な技術が必要とされる製造過程が

 

時計の聖地スイスを舞台に、行われる事となりました。

 

2000年、時計メーカーの「ジェラルド・ジェンタ」「ダニエル・ロート」がブルガリ・グループの傘下になりました。

 

ジェンタとロートは共に著名な時計デザイナーであり

 

彼等が設立した時計メーカーは優れた時計開発力と技術を持つことで有名です。

 

2005年にはブレスレットメーカーの「プレステージ・ド・オール」と

 

ダイアルメーカーの「カドラン・デザイン」が傘下になりました。

 

2007年には、ケースメーカーの「フィンガー」が傘下に収まる事で、ブルガリの腕時計製作が

 

デザインからパーツ、ブレスレットに至るまでの全ての過程を、最高の技術を持って実現することを可能となりました。

 

 

 

まとめ

 

 

古代ギリシャ・ローマ神話では永遠のシンボルと言われる、蛇をデザインに用いたセルペンティなど

 

ブルガリとローマは切り離せない存在で、これからも新しい展開に期待です。

 

 

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