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COLUMN

コラム

2022/03/06

タグホイヤーの歴史 【足立区 北千住 買取 銀座パリス北千住学園通り店】

こんにちは!

 

今回は【タグホイヤー】の歴史のご紹介です。

 

 

 

タグホイヤーとは?

 

 

タグ・ホイヤーは、古くからストップウォッチやクロノグラフの技術に長けており

 

数々の名作ウォッチを世に送り出してきました。

 

その中で、 カーレースのチームや著名なレーサーにも愛用されてきた歴史があり多くのファンを獲得してきました。

 

タグ・ホイヤーの創業は1860年。ドイツ系スイス人時計師、エドワード・ホイヤーによって立ち上げられました。

 

エドワード・ホイヤーは、1856年、16歳で時計メーカーに就職しました。

 

その後二十歳という若さで、タグ・ホイヤーの前身であるエドワード・ホイヤー・ウォッチメーカーズを設立します。

 

ブランド名、現在はタグ・ホイヤーですが、1985年まではホイヤーの名称で展開されていました。

 

同じくらいの時代に創業された有名ブランドには

 

パネライ(1860年)、ショパール(1860年)、ゼニス(1865年)、IWC(1868年)など

 

そうそうたるメンバーが並んでいます。

 

創業から約160年という、長い歴史を持つブランドです。

 

現在のラインナップは、8コレクションあります。

 

カレラ、フォーミュラ1、アクアレーサー、オータヴィア、モナコ、リンクコネクテッド・モジュラー、ヘリテージ。

 

モデル数にすると、実に300以上の現行モデルを販売している、巨大ブランドになっています。

 

 

 

ストップウォッチの技術

 

 

卓越した時計作りの技術で、創業初期より高い評価を得ていましたが、一つの転機となったのは1882年です。

 

懐中時計の形状でストップウォッチ機能を持たせたクロノグラフの開発でした。

 

以降、ストップウォッチおよびクロノグラフを中心にした時計作りに注力しました。

 

1887年には、ホイヤー史、そしてクロノグラフの歴史において、重要な技術が発明されます。

 

それが振動ピニオンです。

 

振動ピニオンは、クロノグラフのスタートおよびストップ時に使用する小さな部品です。

 

時計の動力をクロノグラフ側に繋げたり離したりするための部品なのですが

 

当時はまだクロノグラフの機構がかなり複雑だった時代でした。

 

スイッチを押してから複数の部品を介してようやく針が動き始めるという状態でした。

 

振動ピニオンはその過程を簡略化したことで、スイッチを押してから動き始めるまでの時間を縮めることに成功。

 

レスポンスの良いクロノグラフが完成したことで、より精度の高いタイム計測を可能にするとともに

 

構造の簡素化によって、量産も可能となりました。

 

1914年には、この技術を使用して、腕時計タイプのクロノグラフの開発にも成功しています。

 

さらに、2010年にはこの時代へのオマージュとして、新型ムーブメント・キャリバー1887が登場しています。

 

 

 

マイクログラフ

 

 

その後もストップウォッチ、そしてクロノグラフに注力を続けたホイヤー。

 

車や飛行機の車載クロノグラフの発表、特許取得を経て

 

1916年には1/100秒の計測が可能な機械式ストップウォッチを発表します。

 

マイクログラフと名付けられたこのストップウォッチですが

 

36万振動という驚異的な振動数で、1/100秒の計測を実現しました。

 

振動数というのは、時計の心臓部であるテンプが1時間あたりに動く回数を指します。

 

1時間は3,600秒です。振動数36万というのは、その100倍の動きで針を動かすことが出来るため

 

1/100秒まで読むことが出来るという仕組みです。

 

その技術は高く評価され、やがてスポーツ競技の世界に用いられるようになります。

 

 

 

オリンピックとタグホイヤー

 

 

マイクログラフが、スポーツ競技で初めて正式採用されたのは1920年。

 

アントワープオリンピックでした。

 

日本人が初めてオリンピックに出場したのは1912年のストックホルム大会の事でした。

 

大河ドラマ韋駄天の劇中でも描かれているため、ご存知の方も多いと思います。

 

1916年のベルリン大会は、第一次世界大戦のため中止となり、その後、戦争の爪痕が残るベルギーで

 

復活開催されたのがアントワープ大会でした。

 

多くの日本人選手のタイムを計っていたのが、このマイクログラフです。

 

ホイヤーのストップウォッチはその後の1924年パリ大会、1928年アムステルダム大会でも公式タイマーに採用されています。

 

 

 

パイロットクロノグラフの開発

 

 

オリンピックへの正式採用で、クロノグラフのにおいて

 

リーディングカンパニーへと成長し、さらに技術に磨きをかけたタグホイヤーです。

 

次に取り組んだのは、パイロット用クロノグラフウォッチの開発でした。

 

1930年に完成したこのモデルは、後に防水性能が追加されるなどの改良が加えられ

 

二人の偉人に愛用されることとなります。

 

一人はオーギュスト・ピカール氏。

 

この方は、後にロレックス・ディープシーチャレンジと共に

 

マリアナ海溝最深部に挑むこととなる科学者で潜水艇トリエステ号の開発者です。

 

そしてもう一人は、アイゼンハワー氏。

 

後に第34代アメリカ大統領になった方です。

 

1945年当時は陸軍元帥で、彼も後にロレックスと関りを持つことになります。

 

ホイヤーとロレックスは直接の関りはないものの、不思議と縁があったブランドです。

 

 

 

カレラの登場

 

 

ホイヤーに次なる転機が訪れたのは、1962年2月のことでした。

 

マーキュリー計画におけるfriendship7ミッションで、ジョン・グレン飛行士によって

 

スイスウォッチとして初めて宇宙に持ち出される事となります。

 

当時の装備品は、NASA公式ではなく、飛行士の個人判断によって選ばれていましたが

 

オメガのスピードマスターよりも8か月ほど早いタイミングに地球を飛び出し

 

地球の周りを3周して、帰還することに成功しています。

 

その翌年の1963年には、カレラ・パンアメリカーナ・ラリーという公道を使用したカーレースへのオマージュとして

 

現在もブランドを代表するモデルの1つになっている『カレラ』を発表しました。

 

1964年には、NASAによる公式ウォッチ選定が行われましたが、そこにホイヤーのエントリーはありませんでした。

 

ロレックス、オメガ、ロンジンが、アポロ計画用の腕時計開発で戦いを繰り広げている中

 

ホイヤーはクロノグラフムーブメントの製造メーカーであるレオニダスと協力して

 

ストップウォッチの開発で培った技術と、オリンピックで認められたことへの自信を胸に

 

スピード競技の最高峰ともいえるカーレースという華々しい世界へ、チャレンジの舞台を移していく事となります。

 

 

 

キャリバー11の登場

 

 

レオニダスとの協力により弾みをつけたホイヤーは、1969年にキャリバー11を発表しました。

 

これは腕時計の歴史上初の自動巻きクロノグラフの一つとなり、オータヴィアとカレラに搭載しました。

 

さらにスクエアケースが特徴的なモデル『モナコ』にも搭載されました。

 

モナコは、1971年に映画「栄光のルマン」の劇中で、俳優スティーブ・マックイーンに着用され一躍注目モデルになりました。

 

左リューズ仕様のマックイーンモデルは、現在もその系譜は受け継がれ、現行モデルとしても販売が継続されています。

 

同年には、フェラーリ・レーシングチームのタイムキーパーとして正式採用されることになりました。

 

カーレースでの活躍を目指したホイヤーにとって、この契約は大きな躍進となりました。

 

タイムの計測には、1/100秒の精度を誇るクォーツ式のポケットタイマーも使用されました。

 

 

 

ホイヤーからタグホイヤーへ

 

 

この時代多くのブランドがダメージを受けたのが、クォーツショックです。

 

1969年に発表されたセイコーのクォーツウォッチは、世界中の機械式時計メーカーの売り上げに大きな影響を与えました。

 

フェラーリとの契約までは順調だったものの、徐々に業績不振に陥り、1982年にはピアジェ傘下になりました。

 

さらに1985年にはTAGグループからの資金援助を受けることとなります。

 

この時、ホイヤーはTAGの名を冠することとなり、タグ・ホイヤーへとブランド名を変えたという流れになります。

 

ただ、この資金援助は決してマイナスなものではありませんでした。

 

TAGグループというのはマクラーレンの共同オーナーなのです。

 

なので、ホイヤーにとっては、結果的にカーレースの世界で活躍を続けるチャンスの再来となりました。

 

そのチャンスをしっかりとものにした新生タグ・ホイヤーは

 

1988年には音速の貴公子の名でも知られるF1レーサー、アイルトン・セナとアンバサダー契約を交わします。

 

セナが愛用したセルという時計は、瞬き間に人気モデルとなり、ブランドの認知に大きく貢献しました。

 

セルは現在モデル名を変え、リンクというシリーズで展開が続けられています。

 

 

 

F1・インディカーへの挑戦

 

 

さらに新生タグ・ホイヤーの快進撃は続きます。

 

1992年にはカーレースの最高峰であるF1の公式タイマーに認定され、2003年まで数々の伝説的なレースをサポートしてきました。

 

2003年には、1/1,000秒の精度を誇るクォーツ式クロノグラフ・マイクロタイマーを発表して

 

2004年からはインディカーレースに舞台を移し、さらなる活躍を続けています。

 

その傍ら、複雑機構の時計製作にもチャレンジしていて

 

V4コンセプト、キャリバー360、グランドカレラなどのモデルを発表しました。

 

バーゼルワールドへの出展を通じて、技術の高さを世界へとアピールしています。

 

2015年にはタグ・ホイヤーを象徴する新たなキャリバーが登場します。

 

1887年に作られた振動ピニオンの技術をベースに作られた新しいキャリバーは、ホイヤー01と名付けられ

 

カレラに搭載されました。

 

一大ムーブメントを巻き起こし、現在も高い人気を誇っています。

 

 

 

まとめ

 

 

タグホイヤーの歴史をご紹介させて頂きました。

 

社名の変わった理由や、レーサーに愛されてる理由もお分かり頂けたかと思います。

 

今後のタグホイヤーの変化が楽しみです。

 

 

 

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